日本神話-37 雄略天皇

どうも、元山狐(もとやまきつね)です。

今回は第21代雄略天皇について書きたいと思います。
兄安康天皇の暗殺事件の後の、天皇に即位するまでのエピソード、即位後のエピソードを紹介します。

手持ちの数冊の資料の中では仁徳天皇以降の天皇としては、一番扱いが大きい天皇でした。
逆に以降の天皇のことは殆ど書かれている資料がないので、次回以降が不安です・・・(笑)



継承争い

前回兄(安康天皇)が暗殺され、兄の黒日子王(クロヒコノミコ)、白日子王(シロヒコノミコ)を自らの手によって葬った大長谷王子(オオハツセノミコ = 後の21代雄略天皇)。

これは、兄の敵である目弱王(マヨワノミコ)と家臣の都夫良意富美(ツブラオオミ)を倒した後の話です。

大長谷王子は、市辺之忍歯王(イチノヘノオシハノミコ=第17第履中天皇の息子、大長谷王子とは従兄弟にあたり、皇位継承のライバルの一人になる。)を連れて、狩りに近江に出かけました。
近江について、2人はそれぞれ別に仮宮を作って、宿営しました。

朝になって、市辺之忍歯王が大長谷王子のところにやってきて、大長谷王子のお供に言いました。
「まだ寝てるの?もう夜はすっかり明けたよ。狩場にいこう!」
といって、先に馬を進めて出ていきました。

すると、その後を、鎧に弓矢で完全武装した大長谷王子が馬に乗って追いかけてくるではありませんか!

大長谷王子はすぐに市辺之忍歯王の馬に追いつき、矢で市辺之忍歯王を射落とし、落馬した彼を斬り殺してしまいました。

そして、市辺之忍歯王の2人の子たちは、父が殺されたことを知って、自身の身を案じて逃げ去りました。
(この2人の子は、後の第23代顕宗天皇、第24代仁賢天皇となります。)

前回の大長谷王子は、兄が殺されたことによる怒りで行動していて、正義感溢れる青年だったようにも思えたのですが、ここのエピソードは完全に皇位継承のライバルを排除する動きですよね。

「日本書紀でも混乱に乗じて、兄や従兄弟を次々に殺害して天皇となった。」といったような描写が多いみたいで、
以前書いたこの記事の方が日本書紀よりの雄略天皇になるのかもしれません。

日本史に疎い僕が百舌鳥・古市古墳群を回ってみた-6 允恭天皇陵 他(最終回)

こうして、大長谷王子は天皇になりました。
以降は雄略天皇と書きます。

雄略天皇について

雄略天皇は前回の安康天皇の図らいどおり、若日下王(ワカクサカノミコ)を娶りました。
しかし、この2人には子はできなかったようで、後に都夫良意富美の娘訶良比売(カラヒメ)を娶り、白髮命(シラカミノミコト=後の第22代清寧天皇)と若帯比売命(ワカタラシヒメノミコト)が生まれました。

手持ちの資料では、即位後のことはいくつかのエピソードが載っているくらいで、天皇としての実績に関してはあまり書いていませんでしたが、勇ましい活躍をしていたようです。

Wikipediaより引用
反抗的な地方豪族を武力でねじ伏せてヤマト王権の力を飛躍的に拡大させ、強力な専制君主として君臨したとされる。

政治、軍事ともに優れていて力を拡大させた反面、気性が激しく独善的な面もあったため、大悪天皇(ハナハダアシキスメラミコト)と民衆から誹謗されてもいます。(日本書紀)

雄略天皇と一言主

ある日、雄略天皇は葛城山(奈良県と大阪府の境の山)に出かけました。
そこで自分たちの一行と装いなどがとても似た一行を見かけました。

「この国の王は俺一人なのに、生意気な・・・一体誰だ!?」
と問いかけましたが、向こうからの答えも似たようなものが返ってきました。

これに怒った天皇は臣下とともに、弓を構えましたが、向こうも同じくみなが弓を構えました。

そこで、天皇は再び名を訪ねました。
すると
「私は悪いことでも一言、善いことでも一言のもとにきっぱり言いはなつ神、葛城の一言主(ヒトコトヌシ)の大神である。」
と答えました。

他の資料やネットでもこのセリフが書かれていて、これキメ台詞みたいなもんなんですかね。(笑)
この日本神話シリーズではたくさんの神々が出てきましたが、一言主は初めての登場です。
一説には一言主=事代主神(コトシロヌシ)という説もあるようです。

事代主は国譲りの時に登場していました。

日本神話-13 国譲り-2

話はもとにもどります。

これを聞いた雄略天皇は、恐れてかしこまり、
「恐れ多いことです、わが大神よ。私は現身の人間なので、あなた様のことに気がつきませんでした。」
といって、大御刀や弓矢、衣服などを拝礼として献上しました。

一言主はそれに喜んで、天皇一行を山の入口まで見届けたそうです。

最後に

雄略天皇には他に、
河のほとりで出会った美しい女性に、やがて后にすると約束をしたが、忘れてしまい、80年後彼女が老婆としてやってきたが、思い出せず、やっと思い出したものの、もはや交わることもできないので、褒美をもたせて帰らせた。(この書き方だとクズ男エピソードですねw)
とか、
日本書紀では豪族 少子部蜾蠃(チイサコベノスガル)とのちょっとした面白エピソードがあったり、仁徳天皇以降の天皇としては資料の中では一番扱いが大きかったです。

で、実は第21代雄略天皇以降~第33代推古天皇までは、手持ちの資料では数行~1ページ弱の概要的扱いになってまして、あまり書くことがなさそうです。(笑)

ですので、ネットのソースだったり、資料を買い足すかするなりして、肉付けをするつもりですが、まとめて数代の天皇を紹介する格好になるかも知れません。

では、最後までお読みいただき、ありがとうございました。