ギリシア神話-50 テバイを巡る争い

どうも、元山狐です。

オイディプスが王位を退いた後、クレオンが国を治めていましたが、オイディプスの息子が成人すると2人の息子が1年交代で王位に就くことになりました。

しかし、兄のエテオクレスがそれを反故にして、弟のポリュネイケスを国から追放してしまいました。

弟はアルゴスに身を寄せ、力を付けるとテバイを巡って争いを仕掛けます。




兄弟喧嘩が国の争いに発展

冒頭にも書きましたが、オイディプスの息子エテオクレスは、弟ポリュネイケスを追放してしまいました。

ポリュネイケスはアルゴスに身を寄せ、アルゴスのアドラストス王に歓迎され、娘のアルゲイアを妻に与えられました。

このままアルゴスにいれば安泰だったろうに、兄への恨みが忘れられません。
アルゴス王という強力な後ろ盾を得たポリュネイケスは、テバイの王位を取り戻すために強力な遠征軍を願いました。

テバイ攻めの7将

王の後ろ盾もあって、勇士が集められ、ポリュネイケスを含む「テバイ攻めの7将」がテバイに攻撃を仕掛けました。

実はこの7将の中に、自らの運命(死)を予言して、渋っていたアムピアラオスという英雄がいました。

オイディプスの記事で

テバイ自身がカドモスという英雄を祖としているんですが、神々との因縁もあり、伝わっている秘宝に神の怨念が込められたりしています。(詳細は長くなるので書きません。)

といったことを書きました。

この伝わっている秘宝の中に、鍛冶の神ヘパイストスが作った、見事な装飾の首飾りがありました。
しかし、この首飾りにはヘパイストスの怨念が込められていました。

・・・とここまで書くとテバイ建国の背景を書かないと、説明が付かないですね。
う~ん、こりゃ記事の順番を失敗した・・・というか、この記事で詳細を書いておくべきでした。笑
本当は、この次はトロイア戦争に入って行きたかったんですが、次回に補足としてテバイ建国について書きたいと思います。

で、ポリュネイケスは国を追放される時に、この首飾りを持って出ていました。
そして、首飾りをアムピアラオスの奥さんに送り、出撃を渋る夫を説得させました。

こうして、「テバイ攻めの7将」が揃い、テバイへの攻撃を開始します。
テバイは高度な技術を誇り、その城壁と7つの城門を持ちますが、各将が率いる軍勢が各城門に猛攻をかけるのです。

テバイはピンチに陥った。
と、思いきや兄エテオクレスの指揮の下、防戦し奇跡的な勝利をおさめます。
全員を紹介しだすと、すごく長くなりそうなので、アルゴス(攻め)側とテバイ(守り)側のそれぞれの将を書いておきます。

テバイの門 アルゴス側 テバイ側
プロイティデス門 テュデウス メラニッポス
エレクトライ門 カパネウス ポリュポンテス
ネイスタイ門 エテオクロス メガレウス
オンカ・アテナ門 ヒッポメドン ヒュペルビオス
北の門 パルテノパイオス アクトル
ホモロイデス門 アムピアラオス ラステネス
第7の門 ポリュネイケス エテオクレス

その際に7将は討死に、ポリュネイケスはエテオクレスとの激しい決闘の末兄弟同士で相打ちとなり2人とも死んでしまいました。

テバイ陥落

こうして、再び王を失ったテバイはまたまたクレオンが治めることになりました。

クレオンはエテオクレスら味方軍を手厚く埋葬しましたが、ポリュネイケスはじめ敵軍の埋葬は禁止し、違反者には刑を与えることを布告しました。

オイディプスが亡くなって、テバイに帰ってきたアンティゴネは弟の遺体が野ざらしにされていることに耐えられず、敢えて違反して埋葬しようとしましたが、番兵によって捕らえられ、布告どおり刑(墓室に入れられて、餓死させられる。ただし、アンティゴネは墓室に入ると、すぐに自害した)に処されました。
これを知ったアンティゴネの許嫁だったクレオンの息子ハイモンは父を非難しながら、アンティゴネの遺体の側で自害しました。
更にはクレオンの妻エウリュディケもが、夫の無情を避難し自害しました。

そんな悲劇の10年後。

テバイは7将の息子たち(総称としてエピゴノイと呼ばれるそうです)が率いる軍によって、攻め込まれ陥落しました。

こうして、呪われた王国テバイは陥落しました。

最後に

個人的にはクレオンが不憫な気がせんでもありません。
彼は、王位に執着することなく、彼なりに国に尽くしてきたように思うのですが。

しかし、テバイ建国のことを書いてこなかったのは、マジで失敗だったな~。笑
まぁ、自身の知識があまりない状態で書籍を読みながら、記事を書くスタイルなので、こういうこともありますよ。

と、開き直ったところで(笑)!
次回はテバイが建国された経緯について書いてみたいと思います。

では、最後までお読みいただきありがとうございました。