投稿日: 2019年7月15日2019年7月5日 投稿者: kitsune 日本神話-40 第30代敏達天皇〜第33代推古天皇 今回は前回に続いて、第30代以降の天皇を4人紹介したいと思います。今回でこの日本神話シリーズは一応最終回となります。最後にしてはかなり薄い生地になっちゃいましたが(笑)次回以降は、単発的な投稿が続くと思うので、不定期投稿になると思います。
投稿日: 2019年7月11日2019年6月28日 投稿者: kitsune 日本神話-39 第26代継体天皇~第29代欽明天皇 今回は前回に続いて、第26代以降の天皇を4人紹介したいと思います。 この日本神話シリーズは初回の記事が2019年2月に投稿したのですが、ここまでくるのに5ヶ月もかかったし、記事数的にもギリシア神話に次ぐ多さになりました。 次回も同じペース(4人)で紹介できれば、この日本神話シリーズは次回で最終回になります。
投稿日: 2019年7月8日2019年6月27日 投稿者: kitsune 日本神話-38 第22代清寧天皇~第25代武烈天皇 今回は雄略天皇以降の天皇4代(人)について書いています。今までは、比較的手元の資料にも情報はあったのですが、このあたりの天皇以降はかなり扱いが薄くて、書くほどのことがあまりありません。正直今回で終わりにしようかな・・・とも思ったのですが、せっかくここまで続けたので、形だけでも最後の推古天皇まで書きたいと思います。
投稿日: 2019年6月27日2019年7月5日 投稿者: kitsune 日本神話-37 雄略天皇 今回は第21代雄略天皇について書きたいと思います。 兄安康天皇の暗殺事件の後の、天皇に即位するまでのエピソード、即位後のエピソードを紹介します。 手持ちの数冊の資料の中では仁徳天皇以降の天皇としては、一番扱いが大きい天皇でした。 逆に以降の天皇のことは殆ど書かれている資料がないので、次回以降が不安です・・・(笑)
投稿日: 2019年6月24日2019年6月17日 投稿者: kitsune 日本神話-36 安康天皇 今回の記事のタイトルは「安康天皇」ですが、彼は連れ子に暗殺されてしまい、在位期間も短い天皇となります。(いきなりネタバレです(笑)) ですので、話の中心は暗殺した張本人 目弱王と安康天皇の弟にあたる大長谷王となります。 この大長谷王は後の雄略天皇で、結構エピソードも多いので、今回、次回の話の中心人物となります。
投稿日: 2019年6月20日2019年6月10日 投稿者: kitsune 日本神話-35 允恭天皇 今回も日本神話、古事記でいうところの下巻、古代天皇の1人、代19代允恭天皇(いんぎょうてんのう)について書きたいと思います。 允恭天皇は、前回の履中天皇、反正天皇とは兄弟にあたります。 男浅津間若子宿禰王(オアサツマワクゴノスクネノミコ)という名前で、やはり長くて覚えにくい(笑)ので、以降は允恭天皇と書くことにします。
投稿日: 2019年6月17日2019年6月6日 投稿者: kitsune 日本神話-34 履中天皇と反正天皇 今回から仁徳天皇以降の天皇をある程度まとめながら(と書きつつ、本当は略しながらなんですが(笑))書いていきたいと思います。今回は17代履中天皇と18代反正天皇についてです。この2人の共通点かつ特徴的なのは、皇位において初めて兄弟継承がなされたことと、2人とも在位期間が短く短命な天皇だったことが挙げられます。
投稿日: 2019年6月13日2019年6月3日 投稿者: kitsune 日本神話-33 仁徳天皇-2 今回も第16代仁徳天皇について書いてみたいと思います。 前回は天皇になった経緯や聖帝として、を主に書きましたが、今回は「恋多き天皇」としての面に目を向けて書きたいと思います。 当時天皇は複数人の后を迎える、所謂一夫多妻制が当たり前の時代でもあったのですが、正妃石之日売命が嫉妬するくらい女好きなところがあったみたいです。
投稿日: 2019年6月10日2019年6月3日 投稿者: kitsune 日本神話-32 仁徳天皇-1 今回は第16代仁徳天皇(にんとくてんのう)について書いてみたいと思います。 仁徳天皇といえば、大阪府堺市にある、大仙古墳が有名です。 日本で最大の古墳ですし、神武天皇以降の天皇の中でも最も有名な天皇なのではないでしょうか。 仁徳天皇は徳に溢れた聖帝として知られていますが、一方では恋多き天皇としても知られています。
投稿日: 2019年5月30日2019年6月3日 投稿者: kitsune 日本神話-31 応神天皇 今回は第15代応神天皇(おうじんてんのう)について書いてみたいと思います。 武の神として武将の信仰を集めたり、八幡様として祀られている応神天皇ですが、手元の資料には 「こういったことをした」 といった具体的なことは殆ど書かれていませんでした。 いつもよりWikipediaなどネットの情報の比率が高くなっています。