日本神話-32 仁徳天皇-1

どうも、元山狐(もとやまきつね)です。

今回は第16代仁徳天皇(にんとくてんのう)について書いてみたいと思います。

仁徳天皇といえば、大阪府堺市にある、大仙古墳が有名です。
日本で最大の古墳ですし、神武天皇以降の天皇の中でも最も有名な天皇なのではないでしょうか。

以前にその古墳を訪れており、今回の記事と書いていることがかなりかぶっていますね・・・。

日本史に疎い僕が百舌鳥・古市古墳群を回ってみた-5 仁徳天皇陵と履中天皇陵、反正天皇陵

仁徳天皇はその名のとおり、徳に溢れた聖帝として知られていますが、一方では恋多き天皇としても知られています。



跡目争い

前回、応神天皇との問答の中で、次代は莵道稚郎子(ウジノワキイラツコ)が天皇となり、大雀命(オオサザキノミコト=仁徳天皇)と大山守命(オオヤマモリノミコト)はその補佐を命じられました。

応神天皇が崩御した後、大雀命は先代に従って菟道稚郎子が天皇になることに異論を唱えることはしませんでしたが、大山守命はそれに不満を持っていて、天下をとろうと菟道稚郎子を暗殺しようとしました。

しかし、その目論見も大雀命にバレたようで、阻止されて大山守命は命を落としました。

菟道稚郎子の死

大雀命の働きによって、大山守命の目論見から逃れ、命を繋いだ菟道稚郎子ですが、結局は天皇になる前に若死にしてしまいました。

古事記では単に死んだとあり、日本書紀では大雀命に皇位を譲る為に自殺したとあります。

これには様々な異説があって、中には大雀命が菟道稚郎子を謀殺した・・・という説も。

まぁ、このブログでは古事記ベースで進めますので、大雀命が守ったものの、菟道稚郎子は若死してしまい、結局は大雀命が次代天皇として即位することになった。(16代仁徳天皇)ということで進めます。

※前回の記事の最期で、古事記は上中下の3巻から成り、次回(=今回)から下巻の内容になります。といったことを書きました。
実際にはここまでが「中巻」にあたり、これ以降が「下巻」になります。
ややこしくてすいません・・・。

聖帝の時代

冒頭にも書きましたが、仁徳天皇は聖帝として有名です。

仁徳天皇は浪速の高津宮(大阪市中央区法円坂付近)で天下を治めました。

仁徳天皇は石之日売命(イワノヒメノミコト)、髪長比売(カミナガヒメ)、八田若郎女(ヤタノワカイラツメ)を娶り、6人の子をつくりました。
この子らが後の履中天皇、反正天皇、允恭天皇となって時代が続きていきます。

そんな仁徳天皇のエピソードで最も有名なのは、次のエピソードなのではないでしょうか。

ある日、天皇は高い山に登って四方を見渡しました。

「民の家から(竈の)煙が立っていない。
国中が貧窮しているのだ。
3年間人民の税と労役を免除せよ!」

こう命じて、宮殿が破損しようが、雨漏りしようが修理することはなかったそうです。

そして、後に国を見渡し、竈の煙が国中に満ちていることを見届けてから税と労役を再開しました。
このことで民は反映して、税や労役に苦しむことはなかったことを讃えて、聖帝と言われているそうです。

最後に

冒頭で、
「仁徳天皇はその名のとおり、徳に溢れた聖帝として知られていますが、一方では恋多き天皇としても知られています。」
と書きました。

で、今回その恋愛エピソードを書こうと思ったのですが、思ったより長くなりそうなので、次回に続けて書こうと思います。

この仁徳天皇の後は殆ど概略程度しか紹介されていないので、この日本神話シリーズももうすぐ終わりそうですね。
このシリーズを終えたら、しばらくは日本神話に縁のあるスポットを巡っては記事にしたいと考えてますが、そうなると休みの日を調整しながらになると思うので、記事の投稿は不定期になりそうです。

まぁ、今までの記事を殆ど修正・更新せずに来ていますので、いい機会だし過去の記事に加筆なんかもしていきたいと思います。

では、最後までお読みいただき、ありがとうございました。