日本神話-36 安康天皇

どうも、元山狐(もとやまきつね)です。

今回の記事のタイトルは「安康天皇」ですが、彼は連れ子に暗殺されてしまい、在位期間も短い天皇となります。(いきなりネタバレです(笑))
ですので、話の中心は暗殺した張本人 目弱王と安康天皇の弟にあたる大長谷王となります。
この大長谷王は後の雄略天皇で、結構エピソードも多いので、今回、次回の話の中心人物となります。



安康天皇と大日下王

兄の木梨之軽太子を退けて、天皇となった安康天皇。

天皇になってから、彼は弟の大長谷王子(オオハツセノミコ = 後の21代雄略天皇)と、大日下王(オオクサカノミコ、仁徳天皇の息子)の妹 若日下王(ワカクサカノミコ)を結婚させようとしました。

大日下王のもとに使者根使主(ネノオミ)を送り、その旨を伝えると、大日下王は賛成し、その印(贈り物)として押木玉縵(おしきのたまかつら=木の枝の形をした飾りの冠)を根使主に渡しました。
しかし、根使主は、その宝冠に魅了されてしまい、それを着服してしまいました。

そして安康天皇のもとに帰ると、
「大草香皇子が大長谷王と草香幡梭姫皇女の結婚の件を拒否した。」
と虚偽の報告をしました。

これを受けた天皇は、根使主の報告を信じてしまい、大日下王を誅殺してしまいました。
そして翌年、大日下王の妃だった長田大郎女(ナガタノオオイラツメ)を皇后にしました。

目弱王の復讐

大日下王と長田大郎女の間には目弱王(マヨワノミコ)という息子がいました。

前項の件があって以来、目弱王は長田大郎女の連れ子として育ちました。

ある日、安康天皇が長田大郎女に
「私(安康天皇)が目弱王の父を殺したことを知ったら、あの子(目弱王)は私を恨むのではないかと心配している。」
といった旨のことを話しました。

その時、目弱王はたまたま2人のいる殿舎の床下で遊んでいて、この話を聞いてしまいました。

自分の父が天皇に殺されたことを知り、復讐に燃えた目弱王は、天皇の寝首をかいて殺してしまいました。
今までご紹介した天皇で暗殺された例は、この安康天皇が初めてなんじゃないでしょうか。

そして、天皇の首を持って家臣の都夫良意富美(ツブラオオミ)の家に逃亡しました。

大長谷王の敵討

兄の安康天皇が殺されたことを知って、大長谷王は大いに怒りました。

すぐに兄の黒日子王(クロヒコノミコ)のもとを訪れて、そのことを知らせましたが、黒日子王は特に驚くこともなく、またそのことに大して全く動くこともありませんでした。

この様子をみた大長谷王は、
「天皇でもあり、兄でもある人が殺されたというのに!」
と怒って、その場で黒日子王を斬り殺してしまいました。

その後、もう一人の兄 白日子王(シロヒコノミコ)を訪ね、安康天皇の死を伝えましたが、黒日子王と同じような反応で、やはり大長谷王は怒って白日子王も殺してしまいました。

その後、大長谷王は軍を率いて、都夫良意富美の家を囲みました。

これに対して都夫良意富美も、軍を用いて応戦しました。

戦いが激化する中で、大長谷王は都夫良意富美の娘 訶良比売(カラヒメ、大長谷王が以前から恋い焦がれていた)のことを案じ
「もしや訶良比売はこの家にいるのか?」
と問いました。

これを聞いた都夫良意富美は、
訶良比売を妻として献上すること。
自身の軍が大長谷王の軍に勝てるとは思っていないが、王子(目弱王)のことは死んでも見捨てられない。
ことを返答しました。

やがて、戦いの中で、物資も尽きて、力の尽きた都夫良意富美は目弱王のそのことを伝えました。
すると目弱王は、都夫良意富美に自分を殺すように命じました。
都夫良意富美はその命に従い、目弱王を剣で殺すと、自分の首も切って死んでしまいました。

最後に

今回書いている内容は以前、雄略天皇の古墳を訪れた時にも軽く書いています。

日本史に疎い僕が百舌鳥・古市古墳群を回ってみた-6 允恭天皇陵 他(最終回)


元にした資料が違うので、内容だったり人物の名前が結構違う・・・というか大長谷王(=雄略天皇)のイメージが随分と違って見えるような。

今回登場した大長谷王は後の雄略天皇ですが、今回の話の時点ではまだ少年で、他にも皇位継承の候補がいる状況ですので、天皇に即位していません。

次回は雄略天皇のことを中心に書きたいと思います。

では、最後までお読みいただき、ありがとうございました。