日本史に疎い僕が百舌鳥・古市古墳群を回ってみた-6 允恭天皇陵 他(最終回)

どうも、元山狐です。

今回は允恭天皇陵と、その後に続く天皇陵に行ってきました。

正直なところ、前回の仁徳天皇のことを書いた記事で終わりにしてもいいかな?
と思っていたのですが、なんとなく歯切れも悪いし、その後の天皇を調べると、個性的で記事にするのに面白そうな天皇もいたので、今回を最終回にしたいと思います。




允恭天皇陵

古墳の形

形ですが、毎度どおり前方後円墳です。
長さは230Mとあります。

允恭天皇について

彼は仁徳天皇の息子です。

諡の意味は「まことに、つつしむ」とありまして、自分が天皇に即位することに対して消極的で、周囲から即位を勧められても

「体調悪いんでパスっすw」

と断り続けていました。

この精神が、後世のニート達に継承されていきます。(嘘)
仁徳天皇もそうでしたが、自分が天皇になることに積極的ではなかったんでしょう。

彼は体が弱く、そんな人間が国政を担うべきでない、と考えていたようです。

しかし、妃の忍坂大中姫の必死の説得により即位することになりました。

ということで、オシドリ夫婦だと思うのですが、彼にも父親の仁徳天皇同様、少々浮気グセがありまして、二人の間に子供(後の雄略天皇)を産んだ夕方に、衣通郎姫に会いに出かけました。
これに激怒した皇后は、産殿を焼いて自殺しようとしました。

これに焦った?天皇は自分が間違っていたことに気がついて、皇后を慰めたそうです。

その後も天皇は衣通郎姫の所に度々通いますが、皇后に諌められ、頻度は稀になっていったみたいです。

ってゆーか、夫の浮気で自殺するっていう発想がちょっと激しいなwって思いますが、仁徳天皇の皇后磐之媛命もそうだったように、天皇の妃はこれくらい気性が激しい方がよかったのかも知れません。

崩御の際には、新羅(現在の韓国)の王より弔使が送られたとありますので、外交面は積極的に行っていたのかもしれません。

仁徳天皇も心優しいイメージがありますが、息子である彼もまた人徳溢れる人物だったんじゃないでしょうか。

次代の天皇は息子である安康天皇なんですが、安康天皇陵は奈良県にありますので、彼の話は今回スキップします。

雄略天皇陵

古墳の形

形ですが、古市古墳群には珍しく円墳です。
円墳とは読んで字のごとし、円の形をしています。
サイズもかなり小さくなってます。

雄略天皇について

彼は「暴君」として伝えられています。

これにはこういったいきさつがあります。

兄(先代天皇)の安康天皇が暗殺されました。

雄略天皇(この当時は大泊瀬幼武(おおはつせわかたけ)という名前でしたが、名前が難しいので、雄略天皇とします。w)はまず兄を疑って、八釣白彦皇子を斬り殺します。

スタートから問答無用ですね。

次に境黒彦皇子と眉輪王を殺そうとします。
この2人は葛城氏(古代の有力な豪族)出身である円大臣の家に逃げ込みます。

円大臣
「娘の韓媛と宅地を献上するから、許してやってほしい」

しかし、これに対して雄略天皇は、

と3人共々焼き殺してしまいます。

でも娘の韓媛は可愛いから、妃にしておこうっと♪
(彼女は次代の清寧天皇を産みます)

ちなみに、安康天皇を暗殺したのは眉輪王でした。

しかし、眉輪王にも事情はあり、父の大草香皇子が罪無くして安康天皇に誅殺されてしまったからでした。

とりあえず、八釣白彦皇子、境黒彦皇子、葛城円という存在を失ってしまいましたが、悲願?である兄の仇討ちを達成した、雄略天皇。

その後は、政敵となり得る従兄弟らをバツバツ殺していきます。

\ヒャッハー!!/

こうして政敵を一掃し、ヤマト王権の大王の座に就きます。

天王に即位してからも、多数の人を処刑した彼は、別名「大悪天王」として暴君ぶりが伝わっていますが、見方を変えると王権の権力を強化したという成果が残っています。

ただやはり、恨みを買ってるから古墳が小さいのかな?
古市古墳群の天皇陵で唯一の円墳だし。

※ただし、この古墳が雄略天皇のものであるという根拠は薄いとされています。

清寧天皇陵

古墳の形

古墳の形は前方後円墳です。
長さは112Mってことで今まで紹介した中では小さめですね。

清寧天皇について

正直エピソードでは、そんなに派手さはないのですが、それを補う特徴が彼にはあります。

即位前は白髪皇子という名前で、その名のとおり、生まれながらのアルビノだったのです!

父の雄略天皇は、霊異を感じて白髪皇子を皇太子にしました。

ってゆーか、アルビノの天皇って後にも先にも彼だけじゃない?

清寧天皇は在位期間が短く、生前に息子を残すことができず、父の雄略天皇が殺した、市辺押皇子の子(難を逃れるため、播磨まで逃げていた)を宮中に向かい入れて皇子にして後を継がせました。

ってゆーか、すごい関係性ですね、本人らはどんな胸中だったのでしょうか。

※以降は時間の関係で回れてなくて、軽い紹介になります。

仁賢天皇陵

清寧天皇が引き取り、あとを継がせた2兄弟の兄です。
弟が先代顕宗天皇として即位(この人の古墳は奈良)しますが、すぐに崩御してしまい、彼がその後即位します。

これといったエピソードはないのですが、彼の時代は国がよくまとまり民から慕われたらしく、有能な人物だったようです。

仁賢天皇陵は遺跡名が「ボケ山古墳」となっており、名前に悪意を感じるのは僕だけでしょうか?w

安閑天皇

仁徳天皇の息子、武烈天皇(この人も異常な行動があったり、個性的な人なんですが、古墳は奈良なので、今回はスキップします。)が次代天皇となり、彼が崩御した後は、遠い親戚の継体天皇(この人の古墳も大阪府茨木市にあるので、今回はスキップ)が次代天皇となりました。

その継体天皇の息子として、代27代天皇になったのが、この安閑天皇です。

ごめんなさい、最後の締めくくりですが、特に思い当たる特徴的な話はありませんw

最後に

ということで、6回に渡って中百舌鳥・古市古墳群を・・・というか、古墳群に所縁のある天皇を中心とした人物を紹介してみました。

ただ、読み返すと僕が日本史に弱いのもあり、まとめ方が雑なので、ちょっと時系列的に分かりにくいですね。
(今から思えば◯代天皇とか表記すべきでした。)

しかも、最終回に今回はちょっと長くなりすぎたかな・・・。
まだまだ文章の書き方も未熟ですね。

近々このシリーズのまとめとして、そういう記事を書いてみようと思います。

では、最後までお読みいただきありがとうございました。