今回から中百舌鳥・古市古墳群を回ってみます。
初回紹介するのは、
仲哀天皇陵です。
行くのが夕方になってしまいましたが、まずは写真をご覧あれ。
あとは・・・まぁなんてゆーか、古墳ですよ。
実際一番目を引いたのはこの看板です。
入ったくらいでいきなり溺れるかw
とか
なぜ服を着ていないw(泳ぐ気マンマンじゃねぇか)
とか思うと、何故か笑えましたww
古墳の形は前方後円墳
前方後円墳は、前が方(四角)で後ろが円になった古墳で、古墳と聞くと真っ先にイメージされるベタな形です。
日本には約5000基以上あるらしい。
中百舌鳥・古市古墳群の殆どはこの形の古墳です。
死者は円の部分に埋葬される。とありました。
日本で一番多いのは円墳(丸)、次いで多いのが方墳(四角)だそうで、ベタなイメージの割にはシェア(という表現がいいかどうかわかんない)は低めですね。
古墳の大きさ
245m
この古市古墳群では3番目、日本では16番目に大きい古墳らしい。
他
室町時代には城として利用されていたらしい。
え!?って思ったのですが、室町や戦国時代において古墳を城として再利用するのはそんなに珍しくもなかったようです。
本題から逸れますが、古墳の数を調べてみた
日本全国では、現在古墳が16万基以上確認されているらしい。
(壊れたものや小さなものを含めると20万とか、未確認のものを含めると30万近くあるとか)
16万って多すぎて、いまいちピンときません。
ちなみに僕が育った田舎は人口が1万人未満でしたw
比較として調べたところ、コンビニが約55000、ガソリンスタンドが33000弱らしい。
ってことは相当すごい数ですね!
ちなみに、神社に関しては約80000と言われてます。(これも厳密な数は不明)
これも凄い数ですよね。
ついでに、自販機の数は・・・なんと500万以上!
日本の人口に換算すると約25人あたりに1台普及していることになります。
クラスに1人くらい自販機おったわ〜。って比率です。
(いったいこの情報が何の役に立つんだ)
ってことでこのコーナーの勝者は数量で他を圧倒した自販機です!!
・・・あれ?そんな記事だったかな?
仲哀天皇について
数の件で文字数とっちゃいましたが、ここからが本題です。笑
血縁
父親は日本武尊で、妻は神功皇后、息子は応神天皇とあります。
容姿端麗身長は一丈
Wikipediaによると、容姿端麗で身長が一丈とあります。
容姿端麗・・・
この絵ではわかんないですねw
ってゆーかビジュアルが平安っぽいですな。
それよりも身長一丈とわ。
調べると3mくらいになるんですよね。
大仏かww
まぁ言えるのは、とりあえずイケメンで身長も高かったと。
実在性が低いと言われています。
父親の日本武尊、妻である神功皇后は共に複数の人物の偉業を、一人にあてがって英雄伝説として伝わっているという見方があり、実在性が低いと言われています。
この2人の実在性を高めるために、創られた人物ではないか?という見方があるみたいですね。
実はこの仲哀天皇陵自体、埋葬者が別の人って説もあります。
つまりは想像の中、ファンタジーの人かも知れません。
でも現実がどうであれ、実在していた方がおもしろい人であることには違いないので、とりあえずは僕の中では実在した人として進めます。
志半ばで没した。
仲哀天皇は妻の神功皇后と熊襲(九州のヤマト王権に抵抗する勢力)討伐に筑紫(今でいうところの福岡県)に赴きました。
そこで、神功皇后は偉業を成し遂げるために神の力を借りようと、祈りました。
すると、神のお告げで「まずは新羅(朝鮮)に向かうべし」とありましたが、天皇はそれを無視しました。
ここまで来て、他の所に行ってられるか!ってことなんでしょう。
それが神の怒りに触れ、志半ばで倒れた。とあります。
わしのお告げを無視するとは、貴様生意気なんだよぉぉぉぉぉぉ!
くらえ!スーパーウルトラ超合金エクストリーム天罰ぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっっっっ!
ぎ、ぎにゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああぁぁぁぁぁ!
ということかどうかは知りませんが、結果的に熊襲討伐を果たすことなく没することになります。
回りに比べて・・・地味!笑
彼の死後、神功皇后は三韓征伐を行い、息子の応神天皇は「武の神」と呼ばれています。
父親、嫁、息子に比べてとにかく扱いが地味!
特に嫁さんにいいところを全部持っていかれて影に隠れてしまっている、そんな不遇の人物です。
と、いうことでジョジョが好きな僕は、仲哀天皇を
「古墳時代のジョージ・ジョースター」
と認定することにしましたw
※父親である日本部尊と、息子である応神天皇の古墳が同じく古市古墳群にあるので、彼らのエピソードは近々紹介します。
父親日本部尊との関係
白鳥になって天に召された父を偲んで、諸国に白鳥を献上するように命じたとあり、それを奪った異母弟を誅殺した、とあります。
ちょっと激しすぎない?wとは思いますが、仲哀天皇は日本部尊を慕っていたんじゃないでしょうか。
付近には
アイセル シュラホールという船の形をした施設があります。
以下、藤井寺市のWebサイトより引用
アイセル シュラ ホールの愛称でみなさんに親しまれており、アイセルとは、Activity(活動)、Information(情報)Consultation(相談)、Exchange(交流)、Learning(学習)の頭文字で、シュラは、藤井寺市から出土した古墳時代に巨石を運搬したと思われる修羅のことです。
建物の外観デザインは、船形埴輪と修羅をモチーフに、歴史を継承し未来へと出帆する船をイメージしています。
ちょっとネーミングセンスに統一感がないなw
ちなみに夕方に角度変えて見てみると、非日常感溢れる風景です。
なんだか大いなる敵に侵略される前の風景!?とか考えるとワクワクします。
最後に
ということで、仲哀天皇陵をご紹介しました。
僕自身が歴史に疎くて、古墳に興味がないので薄っぺらな内容かも知れませんが、こんなノリで中百舌鳥・古市古墳群を紹介していきたいと思います。
次からは形のこととか、古墳自身に対しては数行で終わるかも知れませんが、まぁその分は「付近にこんな施設がありました」とかでボリュームを稼ぐようにしますw
かなり間が空いたりすることもあるかも知れませんが、読んでいただければ嬉しいです。
では、最後までお読みいただきありがとうございました。