日本神話-18 神武東征-1

どうも、元山狐(もとやまきつね)です。

今回から五瀬命(イツセ)と神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコ=後の神武天皇)とが日向を出発して、大和を征服するまでの流れを書いていきます。

僕自身この辺りの話はあまり詳しくなくて、今回記事を書きながら知ることも多々あって、また熊野が舞台として出てくるので、和歌山に住む僕としては親近感も湧いて、書いていて楽しいです。



日向を離れ、東に向かうことにした。

五瀬命(イツセ)と神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコ=後の神武天皇)は、葦原中国を治めるにはどこの土地がいいかを話し合いました。
結果、東へ行くことになりました。

そこで早速日向を出発し、筑紫(今の福岡県)に到着、さらに豊国の宇沙(今の大分県宇佐市)に入りました。
この土地では宇沙都比古(ウサツヒコ)と宇沙都比売(ウサツヒメ)が、服従の印として仮の宮殿を作って、食事を提供してくれました。

その後、更に移動をして岡田宮(おかだぐう、現在の福岡県北九州市にある岡田神社がそれだと言われている)で1年、さらには阿岐国の多祁理宮(たけりのみや)で7年、吉備国の高島宮(たかしまのみや)で8年過ごしたとあります。

ここまではゆっくりながら、順風満帆に見えますね。

兄の死

しかし、浪速国に到着して事態は一変します。

那賀須泥毘古(ナガスネヒコ)という豪族が、兄弟の前に立ち塞がります。
ナガスネヒコが率いる軍勢との戦いの中で、兄のイツセがナガスネヒコの放った矢に傷ついてしまったのです。

なんとかその場は逃げおおせたのですが、イツセは重体になってしまいました。

イツセは、
「我々は日の神の御子だから、日に向かって(東を向いて)戦うのは良くない。日を背にして(西を向いて)戦わなければ」
と言って、一行は南方に回るルートをとったのですが、紀国の男之水門で息を引き取りました。

少し話が脱線しますが、僕は以前神武天皇の古墳(奈良県橿原市)に行ったことがあります。
(記事にしていないので、また折を見て記事にしたいと思います。)

で、兄のイツセは和歌山県和歌山市に古墳があるみたいです。
しかも、僕が住んでいる場所からそう遠くない場所です。
今まで知らなかったので、落ち着いたら行って、神武天皇の古墳とあわせて一つの記事にできたらなぁ。
と思います。

天津神の助け

一同が熊野の地に到着した時に、大きな熊に遭遇しましたが、熊はすぐに消えました。
するとカムヤマトイワレビコと、率いていた兵士たちは気を失ってしまいました。

・・・なんかこの文面だと、状況がよく理解できないんですが、大きな熊の姿をした悪神の毒気にあてられて、倒れたという解釈です。

この時に高倉下(タカクラジ)という国津神が、布都御魂(ふつのみたま)という大きな刀を持って、カムヤマトイワレビコ達のもとにやってきました。
この刀の気に触れて、カムヤマトイワレビコは覚醒し、先程の悪神たちは切り倒され、兵士たちも意識を回復しました。

タカクラジの夢に現れたアマテラスたち

カムヤマトイワレビコはタカクラジに経緯を訪ねました。

すると、こういうことでした。

  1. タカクラジの夢に、アマテラスとタカミムスビが現れました。
  2. 二人はタケミカヅチを呼び、タケミカヅチにカムヤマトイワレビコを助けるために、地上に下るように命じました。
  3. タケミカヅチはそれを断り、国譲りの際に用いた刀を送る。と答えました。
  4. そして、屋根から刀を下ろすので、それをカムヤマトイワレビコに渡すようタカクラジに命じました。
  5. 目が覚めると、本当に刀があったので、届けにきた。

アマテラスとタカミムスビも、先にタケミカヅチと話して折り合い付けてから、夢に現われりゃよかったのに、ちょっとグダってるというか、格好わるいですね。(笑)

ちなみにこの、布都御魂ですが、現在は奈良県天理市にある石上神宮(いそのかみじんぐう)に御神体として祀られているそうです。

そんなカンジで、とりあえずのピンチをくぐり抜けたカムヤマトイワレビコです。
ちょど区切りがいいので、ここで今回は終わって、次回に続けたいと思います。

では、最後までお読みいただきありがとうございました。