マダム・タッソー東京に行ってきました。(東京都)

どうも、元山狐です。

以前から行きたいと思っていた、マダム・タッソー 東京。

今回東京に出張があり、やっといける暇が見つかったので、行ってみました。




マダム・タッソー とは


有名な方なので、知ってる人も多いかと思いますが、名はマリー・タッソー、ロンドンに蝋人形館「マダム・タッソー館」を設立した方です。

以前書いた、「デスマスクについて」という記事でも少し触れていますが、フランス革命の頃にギロチンの犠牲となった人々のデスマスクをたくさん作りました。

デスマスク について

今回は彼女にもう少し、踏み込んだ記事にしたいと思います。

マリーが蝋人形に出会うまで

生まれは1761年。
フランスのストラスブールというところで生まれています。

父は軍人でマリーが生まれる2ヶ月前に7年戦争で無くなっています。
さっそく戦争によって運命が動かされていますね。

母はマリーとともにスイスのベルンに移住し、フィリップ・クルティウスという医師のもとで家政婦として働きはじめます。
クルティウスは内科医で、蝋による造詣術に優れていて、解剖模型を制作していました。

そんなクルティウスは、フランスの貴族コンティ公ルイ・フランソワ1世の待遇で1765年にパリに移住して蝋人形の制作の仕事を始めます。
そして、2年後の1767年にクルティウスはマリーと母をパリに呼び寄せます。

マリーはその後、クルティウスの仕事を手伝うようになり、彼から蝋人形細工の技術を教えられ、才能を磨いていきます。

マリーの母と特別な関係にあったかどうかはわかりませんが、マリーは彼を後の手記で「伯父」と呼んでおり、マリーらに対し親密に接していたようです。
マリーは、この先の一生の大半を蝋人形に捧げることになりますが、そこからもクルティウスに対して尊敬の意があったんじゃないかな。と思います。

マリーが初めて蝋人形を作ったのは、17歳の時。
ヴォルテールというフランスの哲学者と、ベンジャミン・フランクリンというアメリカ合衆国の政治家でした。
(両方とも知りません。汗)

フランス革命に翻弄される

見出しのとおり、時代はフランス革命による大きな変化の時期がきました。

マリーはフランス革命の前にはナポレオンら、革命の指導者らとも会っていたり、革命で処刑されるルイ16世の妹エリザベートの蝋人形教師として、ヴェルサイユ宮殿に住んでいました。

しかし、革命が起こると、マリーは王党派として逮捕されてしまいます。
ギロチンの刑を宣言されましたが、獄中生活でナポレオンの妻と出会い、その蝋人形細工の腕を買われ、友人達を含めたギロチンの犠牲となった人々のデスマスクを作る仕事をすることになります。

実際に彼女は、ルイ16世やマリー・アントワネットら主要人物をはじめ、多くのデスマスクを制作しました。

革命後、マダム・タッソー館設立

マリーは革命が終わった後に、ロンドンで「マダム・タッソー館」を設立し、「恐怖の館」を作り、フランス革命に関する残酷な面を表現した展示を行いました。

さらに戦争に翻弄される

その後マリーは結婚して、2人の子を授かります。

しかし、長男を連れてロンドンで蝋人形展を行なっているタイミングで「ナポレオン戦争」が勃発し、祖国フランスに帰れなくなってしまいました。

これが原因でマリーは生涯夫や家族(長男を除く)と会うことなく人生を終えることになります。

その後の人生は蝋人形作家として精力的に活動

七年戦争で父を亡くし、
フランス革命で逮捕、処刑を宣告され、
ナポレオン戦争で家族と分離される。

波乱の人生を歩んでいる彼女ですが、その後の人生はコレクションとともにスコットランドやイングランド、フィンランドなどの地方巡礼をしたり、ロンドンで常設型の蝋人形館を設立したり、蝋人形作家として精力的な活動を続け、現役のまま生涯を閉じました。

波乱万丈ということもいえますが、とてもタフで硬い信念のようなものを感じました。

この職人魂とか強さといった背景も、現在においても作品に惹きつける要素を与えてるんじゃないでしょうか。

で、マダム・タッソー東京に行ってきた

と、いうことでマダム・タッソーこと、マリー・タッソーのことを書いてきました。

が、マダム・タッソー東京は、最近の有名人の蝋人形(もちろんマリーが作ったものではない)フィギュアが並んでるってカンジで、あまり歴史とかマリーの人生にフォーカスを当てたようなものではありませんでした。

マリーが実際に作った、蝋人形やデスマスクの展示を期待してたんですが、そういった趣向ではありません。

まぁしかし、単純に楽しかったですし、その造形のリアルさは本当に動き出してもおかしくないくらいの、
「すごい!すごい!」って終始テンション高めでした。

蝋人形のコレクションの入れ替わりがどれくらいのものかわからないけど、そんなに頻繁ではないと思うので、写真は・・・一枚だけにしときます。

※ほぼ全域のエリアで写真撮影可能です。

個人的な感想だと、白人女性は肌の質感や、目のカンジも含めて蝋人形と相性がいいのか、すごくリアルです。

一方日本人というか東洋人は、結構クオリティにバラツキがあったような気がします。

写真はそんな中でも、はじめお客のお爺さん?と間違えてしまう程だった、元内閣総理大臣の吉田茂さんの蝋人形です。

最後に

マダム・タッソー東京というよりは、マリー・タッソーのことを紹介する記事になりましたが、以前書いたデスマスクの記事ともリンクする部分があって、書いている僕は楽しかったです。

記事ではあまり取り上げませんでしたが、マダム・タッソー東京自身は、セレブに出会え、マリリン・モンローと映像の中で共演できるようなアトラクションがあったり、結構凝っているので、思い出に残るのではないかと思います。

どっちかというと数人やデートで行くような場所かも知れません、僕も会社の人らと行きましたし。

では、最後までお読みいただきありがとうございました。




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