日本神話-22 崇神天皇と大物主神


どうも、元山狐(もとやまきつね)です。

今回は代10代天皇崇神天皇を中心に書いてみたいと思います。

神武天皇あたりから神様の扱いが段々と薄くなってきているのですが、今回登場する大物主神は存在が濃いので、比較的神話として受け入れやすい気がします。

今までの天皇は実在性が薄いと言われているのですが、この崇神天皇は実在していた可能性が高いと言われているみたいです。



崇神天皇について

前回、初代神武天皇以降の2代天皇~9代天皇は「欠史八代」と呼ばれていると書きました。

資料でも名前と概略が紹介されている程度なので、このブログでは特に紹介することもない感じです。

この崇神天皇は10代にあたり、御真木入日子印恵命(ミマキイリビコイニエ)という名でした。

磯城の水垣宮(しきのみずかきのみや、奈良県桜井市金屋あたりと言われています。)で政治を行っていました。

崇神天皇と大物主神

そんな崇神天皇が治めていた時代のことです。

国では疫病が大流行し、人民には多大な被害が出ていました。

それを嘆いた崇神天皇は、神意を受けようと床についたところ、夢に大物主神(オオモノヌシ)が現れて、
「この疫病は我の意思によるものだ。
意富多多泥古(オオタタネコ)に私を祀らせれば、祟も無くなり国も平和になるであろう。」
といったことを告げました。

国も平和になるであろう。っていうけど、アンタが祟ることを辞めてくれたらそれで万事OKなんですけどね。(笑)

しかし、オオモノヌシといえば、今までも何度も登場してきた大物中の大物です。

そこで天皇は四方に人をやって、オオクニヌシの言うオオタタネコを捜しました。
結果、河内国美努村(みののむら、現在の大阪府八尾市)でその人物が見つかりました。

崇神天皇がオオタタネコに何者かたずねると、彼はオオモノヌシの子孫ということで、夢のお告げどおり彼を神主として、三輪山でオオモノヌシを祀らせました。(大神神社)

この神社以前行って、記事にしてますね。

大神神社・三輪山・箸墓古墳に行ってみた。(奈良)

結果、疫病はすっかり止んで、国家に平安が訪れました。

また、このオオクニヌシですが、結構な好色で多くの妻を持ったとあります。

崇神天皇の他の功績

前項でオオモノヌシとの話を書きましたが、崇神天皇はこの祟をおさめた他にも功績がありまして、部下を送って北陸地方を平定して国は安らぎ、人民は富み栄えたそうです。

また、この崇神天皇が国として初めて「税」という概念をつくり、男には狩猟の獲物、女性には手仕事の糸や織物を税として献上させたようです。

こうやって書くと、今までよりも一気に国として機能しているように思えます。

そんな崇神天皇ですが、168歳まで生きたとあります。

神話という概念から少し外れますが、この崇神天皇は3世紀後半ごろに実在した人物と考える見方が多いみたいです。
初代神武天皇と、そこからの欠史八代の実在性が薄いことから、ヤマト王権の初代天皇と言われたり、神武天皇と同一人物説なんかもあるみたいですね。

最後に

次回は崇神天皇の息子であり、次代の天皇である、伊久米伊理毘古伊佐知命(イクメイリビコイサチ)こと垂仁天皇の話になります。

このあたりから、以前書いていた「日本史に疎い僕が百舌鳥・古市古墳群を回ってみた」シリーズ(メニューの「古代日本」からお読みいただけます。)と話がかぶってきそうな気がせんでもないので、書いていてかぶるようであれば、概要の記述とリンクでのご紹介になるかもしれません。

以前古事記は上中下の3巻からなると書きました。
現在は中巻になるんですが、この中巻が代15代天皇(応神天皇)まで続きます。
下巻は日本で一番大きな古墳で有名な仁徳天皇からになるんですが、資料も下巻はかなり扱いが薄いので5月にはこの日本神話シリーズも終了することになりそうです。

では、最後までお読みいただきありがとうございました。