日本神話-28 倭健命の東方遠征-2

どうも、元山狐(もとやまきつね)です。

今回も倭健命(ヤマトタケル)の東方遠征の話の続きとなります。

前回相模国でのピンチを、叔母の倭比売命(ヤマトヒメノミコト)からもらった袋でなんとか乗り越えました。

今のところ、今回の旅でヤマトタケル側の死者は出ていないと思うのですが、今回は道中で、しかも部下ではなくてヤマトタケルの身内から犠牲が出てしまいます・・・。


弟橘比売命の入水

倭健命(ヤマトタケル)ら一行が、相模から更に東に進みXXXXX(現代の浦賀水道(三浦半島と房総半島を挟まれた海峡)を渡ろうとしました。

しかし、その時、海は荒れ狂って進むことができませんでした。

ヤマトタケルには弟橘比売命(オトタチバナヒメ)という妃がいました。

このオトタチバナヒメが言うには、これは海神の怒りによるものということで、自らが夫の(ヤマトタケルのこと)に代わって海の中に入ります、どうぞ夫の東征がうまくいきますように。

そう言って彼女は、海の中に入ってしまいました。

すると、先程まで荒れていた海は静かになって船で進むことができるようになりました。

オトタチバナヒメが入水してから7日後に、彼女が持っていた櫛が海岸に流れ着きました。

この櫛を取って、御陵(皇族を葬る場所)を作り、それが橘樹神社の由来と言われているようです。

オトタチバナヒメを想って、ヤマトタケルも暫くはその場に留まったとありますし、前回美夜受比売(ミヤズヒメ)と結婚の約束をしていたとは言え、オトタチバナヒメとも固い絆があったんでしょうかね。

そんなことよりも、せっかくオトタチバナヒメがそこまでしてくれたんだから早く渡れよ。と思わんでもないですが。(笑)

美夜受比売との結婚

オトタチバナヒメの件の後、ヤマトタケルは蝦夷(えみし、古代関東以北に住んでいた人々のこと)を従え、数々の荒神を平定しました。
新治、筑波(今の茨城県)を超えてからは押し返して、帰路に着くことにしました。

道中の足柄峠(相模と駿河の境にある峠)の麓についた時には、その坂の神が白い鹿の姿となって近づいて来た時には、食べ残しの野蒜(のびる、長ネギのような山菜)の片方で目を打って、その場で撃ち殺したそうです。
もう、すっげぇ神殺し慣れてんじゃんw

そして、信濃国(現在の長野県)を超えて、尾張国(現在の愛知県)に戻ってきました。
尾張といえば、前回、ヤマトタケルが美夜受比売(ミヤズヒメ)と結婚の約束をしていました。

前項で、オトタチバナヒメのことがあったんですが、ここで約束どおりミヤズヒメと結婚します。

この頃にはヤマトタケルも神を倒すのなんてチョロいよ~。
くらいになっていたんでしょうか。

ここで、今まで持っていた草薙の剣(くさなぎのつるぎ)をミヤズヒメに預けて、伊吹山(滋賀県と岐阜県の境にある山)の神を倒しに出かけました。

伊吹山の神

ヤマトタケルは
「この山の神は、素手で討ち取ってやろう」
とか言っていたようです、もうかなり油断しちゃってますね。

結婚したばかりだし、ミヤズヒメにいいところを見せたかったのかも知れません。

こういって、山に入ったヤマトタケル。
麓で白い猪と出会いました。

これを見たヤマトタケルは
「この白い鹿は、山の神の使者だろう。神を倒して、帰る時に殺すことにしよう。」
といいました。

この猪は大きさが牛ほどもあったらしいし、前項の白い鹿のことを考えたら、どう見てもコイツがその神だろうよ!w
と、思うのですが、実際にやはりこの白い猪が、伊吹山の神だったのです。

伊吹山の神は、激しい氷雨を降らせて、ヤマトタケルは前後不覚に陥ってしまいました。

なんとか山を下って、きれいな泉に辿り着き、ようやく正気を取り戻したヤマトタケルですが、この時には既に病を患ってしまっていました・・・。

(つづく)

最後に

妻の死、そして新たな妻を得て。
そんな幸せムードの中で、思わぬ不幸に遭う・・・個人的には、今回の部分がヤマトタケルの物語の中では、もっともドラマチックな部分なのかな。と思ってます。

今回の舞台となった伊吹山は、実在の山で標高が1,377メートルで頂上には日本武尊(日本書紀ではヤマトタケルのことをこう書いています。)の像があるそうです。

以前から一度登ってみたいと思ってるんですよね~。
もちろん、いった際にはまた記事にしたいと思います。(笑)

ヤマトタケルの話も次回で最後になるのかな、と思います。

では、最後までお読みいただき、ありがとうございました。