日本神話-29 倭健命の最期

どうも、元山狐(もとやまきつね)です。

今回も倭健命(ヤマトタケル)の話になります。
前回、美夜受比売(ミヤズヒメ)と結婚し、今まで持っていた草薙の剣(くさなぎのつるぎ)を妻に預けて伊吹山に向かったヤマトタケル。

そこで伊吹山の神に会いますが、油断していて、思わぬ痛手を負うことになってしまいました。そして、どんどんと体が弱っていくのでした・・・。


どんどんと弱る倭健命

伊吹山の麓にある泉でようやく正気を取り戻したヤマトタケルですが、既に病を患っていて、足が自由に動かなくなっていました。
それでも、ほんの少しずつ進んでいきまして、なんとか三重村(みえのむら、現在の三重県四日市市あたり)に到着しました。

このあたりで、ヤマトタケルの足は三重に折れるようになってしまう程に悪くなっていました。
それでこの地を名付けて三重・・・ということで、三重県の名前の由来はそういうことなんですね。
なんか不吉?三重の人達はどう思っているんでしょうか。

倭健命の最期

さらに進み、能煩野(のぼの)という場所に到着。

ここでヤマトタケルは故郷を思って、
「大和は国の中でも一番よいところで、とても美しい・・・」
みたいな、望郷して国を称える歌を歌い、歌い終えると、とうとう命を落としてしまいました。

ヤマトタケルの死は馬による急便で大和に知らされました。

その知らせを聞いた、后たちと御子たちはみんな能煩野にやってきて、御陵を作り、ヤマトタケルの死を悲しんでいました。

白鳥となって、飛び立つ

みながヤマトタケルの死を悲しんで泣いていると、ヤマトタケルは大きな白鳥となって現れて、天空に羽ばたいていきました。

これを見た后や御子たちは、泣きながらも、この白鳥を追いかけました。

そして、この白鳥は河内国の志幾(現在の大阪府柏原市のあたり)にとまりました。
そこで、この地に御陵を作って鎮座させた(白鳥御陵)のですが、白鳥はその地からさらに飛び立っていったそうです。

最後に

結局は伊吹山の神にやられ、ヤマトタケルは命を落としました。

その後も景行天皇は、天皇を続け、137歳まで生きたようです。
そして、次代(13代)の景行天皇の子である成務天皇(せいむてんのう)になります。

・・・が、彼に関しては特筆することがないので、省略させていただきます。(笑)

で、その次の14代天皇はヤマトタケルの子の一人である、帯中津日子命(たらしなかつひこのみこと)=仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)となります。

次回からは、この仲哀天皇が登場する話となります。

では、最後までお読みいただき、ありがとうございました。