どうも、元山狐(もとやまきつね)です。
イザナギは、イザナミを想うあまり、イザナミを追って黄泉国に行きましたが、結果夫婦は決別してしまいます。
黄泉国から帰った彼は「穢れた国に行ってしまったので、身のけがれを洗い清めよう」と言って、水に入り身体を清めることにしました。
これがこの世で初の「禊」となります。
そしてこの時にまた多くの神々が生まれました。
禊はどこで行われたのか
古事記では
「筑紫の日向の橘の小門(おど、小さな港)の阿波岐原」
とありますが、正確な場所は不明とされています。
令制国で土地が区分されていた時代(飛鳥~明治)で考えますと、大体以下のようなカンジでして、
- 筑紫国(筑前国+筑後国)=福岡県
- 日向国=宮崎県
- 阿波国=徳島県
超適当ですが、赤で囲っているあたりです。
諸説あり、それぞれの地域に小門神社があるようです。
まぁこんなもん判明しようがないだろうから、それぞれ付近を訪れる機会があった時に、寄れたら寄って浪漫を感じたいと思います。(適当)
身につけていたものから神々が生まれる
禊とは、その身を水で浄めることで、神社を参拝する際に手水で手と口を洗うのも禊の一種と言われています。
で、水に入るためには、身につけていたものを外しますね。
するとあらあら~。(棒読み)
杖からは衝立船戸神(ツキタツフナト)が、
帯からは道之長乳歯神(ミチノナガチハ)が、
・・・と言った具合に、身に着けていものを脱ぎ捨てると、次々にこの2神を含めて12もの神が生まれました。
最初の6神は陸路の神、後の6神は海路の神と言われています。
しかし、これだと清めた後に着る服が亡くなって水風呂の後も素っ裸・・・。ということになりませんかね。
と、いう要らん心配をする僕でした。(笑)
身体をすすぐと更に神々が生まれた
衣服を脱いで、イザナギが水に入って身体をすすぐと、黄泉国で受けた穢が集まって、
八十禍津日神(ヤソガマツヒ)と大禍津日神(オオマガツヒ)という厄災の神が生まれました。
また、その際に厄災を吉事になおす神として、神直毘神(カムナオビ)をはじめ、3神が生まれました。
さらに身体をすすぐと、綿津見三神と呼ばれる海の神が3柱と、住吉三神という星と航海の神が3柱生まれました。
しかし、フィーバー(?)はまだ止まりません。
禊の最後には更に貴い神が生まれました。
まず左目を洗うと、天照大御神(アマテラス)が、
続いて右目を洗うと、月讀命(ツクヨミ)が、
最後に鼻を洗うと、建速須佐之男命(タケハヤスサノオ)が生まれました。
この3柱の神は特に貴い神とされ、三貴子(さんきし)と呼ばれています。
アマテラスとタケハヤスサノオ(名前が長いので今後はスサノオと略します)はこの後も頻繁に登場しますが、それに比べるとツクヨミは出番がありません・・・。
三貴子の分治
アマテラス、ツクヨミ、スサノオの三貴子が生まれたことをイザナギは大変喜びました。
そこで、イザナギはこの三貴に自ら治めていたものを分け与えることにしました。
アマテラスには高野天原を、
ツクヨミには夜の食国(よるのおすくに、食国とは「統治する国」という意味らしい)を、
スサノオには海原を、
任せることにしました。
といったカンジなのですが、最近買い足した資料によると、古事記と日本書紀ではこのあたりからかなり内容が違うみたいです。
日本書紀ではそもそもイザナミは死んでいなくて、イザナギが黄泉国に行くこともありません。
で、この三貴子も今回の話ではイザナギから生まれていますが、日本書紀ではイザナギ・イザナミの間に生まれている。
などなど・・・
このブログではあくまで古事記ベースで進めていくのですが、たまに日本書紀との違いも挟んでいけたらな。って思います。
では、今回はこのあたりで終わりたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。