どうも、元山狐です。
前回ユダの裏切りによって、囚われの身になってしまったイエス。
今回は裁判、処刑、そして予言どおり復活・・・という流れを紹介します。
一応、今回でこの「新約聖書」シリーズは一旦完結・・・する予定でしたが、あと一回書きます。
その後は、流れの中で漏れた部分だったり、美術の題材になっている後の聖人達のことも随時記事として取り上げていきたいな。って思います。
裁判にかけられるイエス
イエスは3つの宗教裁判、そしてローマ帝国の支配下における3つの裁判、合計6回の裁判を受けました。
詳細は省きますが、宗教裁判としては、主に大司祭カイファからの尋問で、自らをメシア(救世主)として認めることで、
「これは神に対する冒涜だ!」
と言われ、死刑を宣告されました。
その後、何度かたらい回しにされ、最後はローマ帝国のピラト総督のもとで裁判を受けました。
そこで、イエスを鞭打ちにして尋問したりします。
しかし、このピラトという人は
「イエスには罪は無い」
と考え、なんとか彼を救おうと考えました。
過越祭には1人の囚人を解放する習慣がありました。
そこでエルサレムの都で暴動を起こし、殺人の罪で囚われていたバラバという囚人と、イエスどちらを解放するか?
と、ユダヤ人達に問いかけました。
(イエスを解放すると予想してのことです。)
しかし、満場一致で
「バラバを解放せよ!」
という答えが帰ってきました。
それに対し、ピラトは
「この人が一体何の罪を犯したんだ!」
と民衆に呼びかけます。
が、これは逆効果となり、民衆は更に激しく
「イエスを十字架にかけろ!」
と要求しました。
こりゃ半分意地になってますね。
こうしてイエスの裁判は「十字架の刑」(死刑)ということに決まりました。
祭司達ユダヤ人の指導者には、直接人を死刑にする権限はありません、格好的にはローマ帝国に対する反逆罪として、ローマ帝国に裁かれることになります。
ピラトは手を洗い、イエスの死には自分的には責任が無く、民の要求によるもの。ということをアピールしました。
しかし、すっごいカメラ目線ですね。
そして渋々バラバを解放して、イエスを兵に引き渡したそうです。
このピラトは後に、このことを悔い改めてキリスト教に改宗し、熱心な信徒になったとして、東方教会では聖人とされています。
一方ユダは
前回イエスを裏切ったユダですが、彼はイエスを裏切りはしたものの、まさか死刑になるとは考えていませんでした。
wikipediaによると
その後、『マタイ福音書』では、ユダは自らの行いを悔いて、祭司長たちから受け取った銀貨を神殿に投げ込み、首を吊って自殺したことになっている 。
『使徒言行録』では、ユダは裏切りで得た金で買った土地に真っ逆様に落ちて、内臓がすべて飛び出して死んだことになっている。
「内臓がすべて飛び出して死ぬ」ってのが無駄にグロテスクな気がせんでもありません。
一般的には、裏切りを悔いて自殺というイメージがありますよね。
最後の晩餐のシーンで書いてませんが、イエスは
「人の子を裏切る者は、実に悲しむべき哀れな者である。」
と、いったことを言いました。
預言としては、自殺、落ちて死ぬ、というどちらの結果とも結び付くような気はしますが、自殺の方がまだなんか救いがあるような気が、個人的にします。
イエス処刑の時
そして、とうとうイエスが十字架に磔られる(十字架磔刑)時がやってきました。
場所はゴルゴタの丘。
ゴルゴタとは「どくろ」を意味しまして、早い話が処刑場ですね。
この磔刑というのは、即死することはありません。
両手首と、両足を釘で十字架に打ち付けられ、体を支えられなくなることで呼吸困難に陥り死亡するという仕組みでして、長いと48時間近く苦しみを味わうことになる、結構残忍な刑なのです。
イエスが十字架に架けられたのは、朝の9時。
この日、イエスだけでなく、もう2人の男も十字架磔刑に処されていますが、イエスとは全く関係のないただの泥棒と言われています。
つまり、一般の罪人と同じ扱いをされて、処刑されたということですね。
服を脱がされ、その服は兵士がクジ引きで分け合ったとか。
イエスの死ぬ直前、昼の3時頃に
「神よ、なぜ私をお見捨てになったのですか!」
と叫んだそうです。
その後、再び叫び、息を引き取りました。
その瞬間、神殿の垂れ幕が真っ二つに裂け、岩が裂けたとか、地震が起こったとか。
死亡確認に兵の1人が、イエスの脇腹を刺して確認したと言われていて、この時の傷は「聖痕」と言われています。
この槍を刺した兵士は「ロンギヌス」という名で、槍は「ロンギヌスの槍」と呼ばれたそうです。
「ロンギヌスの槍」はエヴァンゲリオンとかでも有名ですよね、伝説としてはアーサー王物語にも登場します。
ちなみにイエスが磔刑に遭ったのは「13日の金曜日」とよく聞きますが、この俗説は正しくないようです。
金曜日というのは間違いないようですが、実際は14日だったり、15日だったりと諸説あるみたい。
13が忌の数字としてされているのは、最後の晩餐の人数が13人(イエスと12人の弟子)だったとか、こちらも諸説あるみたいです。
話は逸れましたが、こうしてイエスは死亡しました。
そしてイエス復活
イエスの遺体はヨセフという議員に引き取られました。
彼は、ピラト総督の許可を得て、遺体を丁寧に布に巻き、岩に掘った新しい墓に納められたそうです。
次の日は安息日だったので、イエスの死後2日後にマリア(イエスの母とは別人で、マグダラのマリアと呼ばれる。イエスに従った聖人。)たち婦人は、墓の様子を見に行きました。
すると!
墓の石は動いていて、イエスの遺体がありません。
そして背後に気配を感じたマリアは、背後を振り返りました・・・
キャーッ!!
なんか前にもこういうことやったかも。
それはさておき、なんとイエスが予言どおり復活していたのです。
彼女らは驚き、そして喜びました。
イエスはこのことを弟子達に伝えるように言いましたが、はじめ弟子達はそれを信じませんでした。
特に弟子のトマスは、最後まで信じず、あまりに信じないのでイエスにブチ切れられました。
しかし、本人が目の前に現れて、その傷を見せるとみんな信じました。
その後、イエスは40日間に渡り、弟子達に復活の奇跡を見せました。
そして、その後はオリーブ山に登り、天に召され、神のもとに行きましたとさ。
おしまい。
最後に
ということで、「新約聖書」の大筋は今回で終わりです。
本当は今回で書き切ろうと思ってたんですが、思っていた以上に記事が長くなったので、次回は「ヨハネの黙示録」を中心に「終末論」や「最後の審判」について書いて、シリーズを一旦完結させたいと思います。
前回といい、今回といいちょっと記事が長くなり過ぎたように思ってます。
もっと記事を区切って、読みやすくしていかないといけませんね・・・
では、最後までお読みいただきありがとうございました。