堺アルフォンス・ミュシャ館 に行ってきた。(大阪)

どうも、元山狐です。

先日の記事で、堺アルフォンス・ミュシャ館に行きたいと書いていました。

2018年2月以降 行きたいところ

堺は近所で、先日付近に用事ついでに行ってきました。

「なんとなく好き」ってのと「ここは入場料も安い(一般500円)「アクセスがいい(JR堺市駅のすぐ前)ってのもあって、今まで2、3回行ってます。

ですが、ここは常にミュシャの作品があるし、近いので
「この機会に見るぞ〜!」
とか気合い入れる必要もないし、なんとなく行ってるだけで、特別この施設のことや、ミュシャのことは知ろうともしてきませんでした。

作風が綺麗で、ミュージアムショップで小物を買う(むしろこっちがメイン)ってカンジです。

前述の施設のことや、コレクションした人、ミュシャがどの時代でどこ出身かは全く知りませんでして、今回なんとなく記事にしてみようと思って軽く調べました。




堺アルフォンス・ミュシャ館について

大阪府の堺市にある、堺市立文化館で常時アルフォンス・ミュシャの作品を展示しています。

「カメラのドイ」という昔あった会社(現在は廃業)の創業者土居君雄さんという方が、ミュシャの無名時代から、ミュシャの作品を集めていたのと、この土居さんはミュシャの息子さんとも親交があったそうで、息子さんの仲介もあり、コレクションが集まったそうです。

この土居君雄さんは1990年に他界していまして、遺族は相続を放棄し、これらのコレクションを堺市に寄贈したとのことです。

この土居君雄さんのWikipediaにはこうありました。
特にアルフォンス・ミュシャとBMWの世界的コレクターとして知られ、どちらも土居の死後、遺族から大阪時代に居を構えた大阪府堺市に寄贈され、現在ドイ・コレクションとして公開されている。日本に於けるミュシャの紹介者としても有名で1989年、チェコ文化交流最高勲章が授与された。

この堺アルフォンス・ミュシャ館は、そんな「ドイ・コレクション」(約500点あるらしい)と他の作家さんの作品が、年に3回の企画展で展示されています。

アルフォンス・ミュシャについて

1860年〜1939年
19世紀末から20世紀初頭にかけて盛んになった、アール・ヌーヴォーという美術運動(新たな芸術って意味)の代表的な芸術家として有名だそうです。

オーストリア帝国領モラヴィアのイヴァンチツェ・・・という舌を噛んでしまいそうな地名・・・現在のチェコ共和国で生まれたということです。

もともとは音楽家を目指したのですが、途中で声が出なくなり断念します。

その後は地方裁判所で働いたり、舞台装置工房で働きつつ、夜間のデッサン学校に通います。
その後、失業しますがパトロンが付き、その援助でミュンヘン美術院に入学、卒業します。

そして、パリの舞台女優サラ・ベルナールのポスターを制作したことで一躍有名になったとあります。

晩年ですが、第二次大戦でドイツによってチェコスロヴァキア共和国は解体されて、その時にミュシャはドイツ軍によって捕らえられてしまいます。
その時、厳しく尋問されたらしく、78歳の老体にはきびしいものだったのでしょう。
その後、ミュシャは開放されましたが、体調を崩してそのまま生涯を閉じます・・・。

生涯とおして、結構な苦労人・・・というか波乱万丈な人生を送っていますね。

ちなみに、ドイツ軍に逮捕、尋問された理由は、
「ミュシャの絵画は、国民の愛国心を刺激するものである」
というものだったそうです。

彼の代表作の1つである、「スラヴ叙事詩」という作品(シリーズ?)があります。
これはチェコ・スラヴ民族の伝承・神話・歴史を描いた20作品から成るものだそうです。

また、第一次大戦が終結した際にチェコスロヴァキア共和国が独立しまして、独立10周年をを祝う作品として「1918-1928 独立10周年」という作品もあります。

とても愛国心のある方だったんでしょうね。

ということで、軽くミュシャのことを紹介しました。

代表作の1つとされる「黄道十二宮」という作品の画像を貼っておきますが、この作風みたことがある人も多いんじゃないでしょうか?

僕はあんまり美術に詳しくありませんが、こういう幻想的で、線がしっかりとしている絵は好きでして、ミュシャの作品に描かれる女性は見とれちゃいます。

僕のイメージでは、ポスターやリトグラフ(版画)の作家さんだと思っていたんですが、家具や彫刻、油絵なども手掛けており、多種多様な制作活動をしていたようです。

また、今回この展示にいって、同時代の日本の芸術家たちにも影響を与えたんだな。ってことがわかりました。

「企画展 図案のすすめ ミュシャとデザイン」

今回行った企画展は標題のものでした。

3Fにはデジタル複製画とガイドマシンがありまして、見どころの解説や、ミュシャの作品のパーツを組み合わせてお絵かき(ってより遊ぶの方が近いかな)なんかを楽しむことができます。

今回は平日いったので、ほぼ貸し切り状態でした、全てのコンテンツを楽しむことができました。

前項で「企画展は年に3回入れ替わる」と書きましたが、基本的にミュシャの作品が年中展示されているので、今まであまり混んでいるのを見たことがありません。
平日に行くことができれば、ほぼ貸切状態で楽しむことができると思います。

4Fではミュシャだけではなく、日本作家の作品も展示されていました。

堺アルフォンス・ミュシャ館 様のWEBサイトの展示情報より
アール・ヌーヴォーが頂点を迎えていた1900年の第5回パリ万国博覧会を通じて装飾、デザインの分野でも地位を確立したアルフォンス・ミュシャは『装飾資料集』に自らの装飾デザインを収録し、アイデアの集大成を人々に開放します。
一方、パリ万国博覧会を機に渡欧していた洋画家の浅井忠は図案の重要性に気づき、帰国後は京都高等工芸学校で図案教育を指導し、教材としてミュシャの『装飾資料集』も活用していました。
本展覧会ではミュシャの『装飾資料集』と共に、浅井忠の図案や京都高等工芸学校で展開された図案教育をご紹介します。

ということで、企画のとおり京都工芸繊維大学美術工芸資料館や他の施設で所蔵されている、土岐純一、浅井忠、藤島武二らの作品が展示されていました。

当然ながら展示室での写真は撮影禁止ですので、展示されていた作品の写真はないのですが、以下はWikipediaに掲載されていた「藤島による与謝野晶子『みだれ髪』の表紙装画(1901年)」です。

ミュシャを和風にしたカンジですよね?
この作品を書いたのは藤島武二という方で、彼はミュシャの絵を盛んに模倣したらしいです。

こういった雰囲気の作品が、多数展示されていて、
「おせちも良いけどカレーもね」的な楽しみを味わうことができました。

最後に

ということで、堺アルフォンス・ミュシャ館について書いてみました。

派手な企画が「ドーン!」とやっている雰囲気ではなくて、決して展示されている点数は多いとは言えません。
ゆっくり見ても時間はそんなにかかりません。

以前の記事でも軽く紹介をしていますが、近くには「自転車博物館」とか「仁徳天皇陵」があったり、セットで付近の観光も楽しめます。

日本史に疎い僕が百舌鳥・古市古墳群を回ってみた-5 仁徳天皇陵と履中天皇陵、反正天皇陵

付近の方や、近くに行く用事がある方にはオススメのスポットです。

では、最後までお読みいただきありがとうございました。




コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です