飛鳥時代の豪族藤原千方について(鬼を使役し朝廷に対抗)



以前Googleマップでなんか面白そうな地名を探していると、三重県に「血首ヶ淵」というかなりインパクトの強い名前のスポットを見つけまして、行ってきた。
という記事を書きました。

ここは飛鳥時代の豪族藤原千方の縁の地ということを知って、この人物に興味が湧いたので、藤原千方がどんな人物でどんな逸話があったのかを調べてみました。

血首ヶ淵に行ってきました。(三重県)(名前のインパクトがすごい)

藤原千方はどんな人物だったのだろう

まず「藤原千方」とググって出てきた情報はこうです。

以下Wikipediaより引用
藤原 千方(ふじわら の ちかた、生没年不詳)は、平安時代中期の豪族。藤原北家魚名流、鎮守府将軍・藤原千常の子。

平安時代の豪族なんだ~。
平安時代中期といえば、平将門の乱とかそのあたりの時代の人だったのかな。

・・・と思いきや、藤原千方に仕えた四鬼には以下のようなことが書いてあります。

以下Wikipediaより引用
『太平記』によると、天智天皇の時代、時の豪族藤原千方は、四人の鬼を従えていた。

天智天皇といえば中大兄皇子として有名な人なので、飛鳥時代。
ということは平安時代にも同性同名の豪族がいたというだけで、今回調べたい藤原千方は飛鳥時代の豪族ということなんだろうね。

かなりざっくりですが、飛鳥時代の豪族で、四人の鬼を従え、朝廷に反旗を翻した朝敵と解釈しています。

藤原千方が使役した鬼

藤原千方には四人の鬼が仕えていました。

金鬼(きんき)

体がとても頑丈で、矢で要られても刺さらないようです。
というか、回りの皆さんとても楽しそうですね。(笑)
パーティーにおけるタンク役ってところでしょう。

風鬼(ふうき)

うわ~なんか性格悪そうなヤツ~(笑)
強風を拭きつけて、敵の城を風で破壊するそうです。

水鬼(すいき)

洪水を発生させて、敵を溺れさせたり、水を自由に操れるようです。
って、ホースなんかよ(笑)
まぁ、そんな冗談はさておき、前述の風鬼と連携すれば、城を破壊して、逃げ出したところを洪水で一網打尽に・・・ということもできるでしょうし、かなり強力な術の使い手だと言えそうです。

隠形鬼(おんぎょうき)

一体どんな状況なんだよ!?(笑)

姿を隠して敵に近づき、敵に攻撃をしたり、霧に隠れる術で人を惑わすことができるようです。
この隠形鬼は伊賀忍者の祖とも言われています。

反旗を翻す千方だが・・・

藤原千方と四鬼が集えば、完全無欠の軍団に!!

・・・には見えないですね。っていうか、かなりカオスだ(笑)

まぁしかし、盾役の金鬼、風鬼と水鬼で敵の要塞と軍隊を一網打尽にし、敵方の大将は隠形鬼が暗殺。
戦においてはかなり強い組み合わせですよね。

しかし、そんな千方も志半ばで敗れてしまいます。
天皇の命を受けて右大将の紀朝雄(きのともお)が千方を討伐しにきました。

そこで壮絶なバトルが・・・、と思いきや紀朝雄は
「草も木もわが大君の國なればいづくか鬼のすみかなるべき」
(草や木も、我ら帝の国なので、鬼の住処ではないぞ。といった意味。)

という和歌で千方らを鬼を退散させて、千方を討ち取りました。


おい!一般人巻き込んでるぞ!(笑)

まぁそんなカンジのエピソードを持つのが藤原千方という人物のようです。

前述のWikipediaのページによると、江戸時代に浄瑠璃(じょうるり)で「田村麿鈴鹿合戦」が創作されていて、藤原 千方が題材になっています。
平安時代に再び逆臣として現れた藤原千方が、坂上田村麿と対決するとうような内容みたい。
これはこれで、面白そうです。

話変わるけど、鈴鹿といえば大嶽丸(おおたけまる 鈴鹿山に住んでいたと言われている鬼神)も興味あるんですよね。

先日藤原千方の縁の地を訪れましたが、まだ回れていないところも結構残っているので、また行きたいし。
行きたいところは尽きませんね。

血首ヶ淵に行ってきました。(三重県)(名前のインパクトがすごい)

では、今回はこんなところで終えようと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。