ギリシア神話-44 英雄テセウスの生い立ちと旅立ち

どうも、元山狐です。

今回はギリシア神話の英雄テセウスのことを紹介したいと思います。

彼は伝説的なアテナイの王で、クレタのラビュリントスに幽閉されたミノタウロスを倒したことで知られる勇敢な英雄です。

テセウスもイアソン同様2〜3回で紹介できればな。と思っています。

今回は初回ということで、テセウスの生い立ちから旅立ちまでを書いてみたいと思います。




テセウスの生い立ち


テセウスはトロイゼーンという国家の女王アイトラの子とされていますが、父親は前に紹介していた英雄イアソンの話の中でも出てきた、アテナイの王アイゲウスだとか海神ポセイドンとか言われています。

いずれにせよ、テセウスはトロイゼーンで育てられました。
そして16歳になった時に、アイゲウスの息子(王子)として認めてもらう為、アテナイに向かいます。

困難を乗り越え、アテナイの王族として迎え入れられる


テセウスはアテナに向かう経路として、安全な海路を選ばず、敢えて困難の待ち受ける陸路を歩み、道中で怪物や山賊を倒しながらアテナイに向かい、英雄としての名声を得ていきました。
王族として認められる為に、勇敢で優秀であることを証明する。という意味もあったんじゃないかな。

と、言いながら、↑の写真の赤色の丸から緑色の丸になるので、黄色の経路を通った(マークが僕が付けたので、かなり適当です)と考えると、なんか今までの英雄の冒険に比べるとスケールが小さいような気が。笑

英雄イアソンの元妻メディアは、この頃既にアイゲウス王の妻になっていました。
そんなメディアからすると、テセウスの存在は邪魔だったのだと思います。

メディアはテセウスを毒殺しようとしますが失敗に終わり、またテセウスの身につけたていた物から、アイゲウス王はテセウスを本物の息子と認め、その息子を毒殺しようとしたということで、メディアはアテナイを追放されてしまいます。

ミノタウロス退治を決意

アテナイの王子として迎え入れられたテセウスですが、その頃アテナイは問題を抱えていました。

その当時アテナはクレタのミノス王の支配下にありました。

ミノス王は以前のヘラクレス関連の記事でも登場しています。
この記事を読んでもらった方が、この先の話が理解しやすいかと思います。

ギリシア神話-33 英雄ヘラクレスと10の難業(7)

で、↑の記事にも出ていたミノス王の妻パシパエ牡牛の間にできたのが、頭が牛で体が人という怪物ミノタウロスです。

ミノス王は、このミノタウロスを殺すわけにもいかず、といって側に置くわけにもいかないので、工匠のダイダロスに作らせた迷宮ラビュリントスにミノタウロスを幽閉し、飢えさせせない為に生贄を送っていました。

そして、その生贄をアテナイから捧げさせていたのです。

それを知ったテセウスは、
「自分が生贄のフリをして、ミノタウロスに近づき退治してやろう。」
と思い、自ら志願して生贄となりました。

これに対しては、父王のアイゲウスも反対をしましたが、テセウスの覚悟は固く、他の生贄に選ばれた人たちと船に乗り込み、クレタ島に向かいました。

果たしてテセウスの運命やいかに!?
ってことで、次回に続きます。笑

最後に

今回の話の主人公はテセウスなので、あまり詳しく書きませんが、文中に登場したメディアはその後も別の王と結婚したり、不死を手に入れて、エリュシオン(死後の楽園)治めたとか、英雄アキレウスの妻になったとかあります。

メディアは邪悪な女性として描かれることも多いのですが、テセウスに対する愛情の末に捨てられるなど、結構可愛そうな面もありますし、その後もなんだかんだで強く生きていくということで、結構印象に残っていますね。

では、最後までお読みいただきありがとうございました。