先月役小角の縁の地である、祈りの滝・不動窟鍾乳洞と面不動鍾乳洞に行ってた、という記事を投稿しました。
今回も役小角関連でして、ずっと行こうと思っていたのに、ずっと行くことを忘れていたという、役小角生誕地・吉祥草寺に行ってきたという記事です。
毎回ながら、こうやってどこかに行くと、更に興味のあるキーワードが出てきますね。
吉祥草寺
吉祥草寺は冒頭にも書いたように、役小角の生誕地として伝えられています。
また、このお寺自身が役小角によって開かれたそうです。(創建は舒明天皇(じょめいてんのう、第34代天皇))
見どころとしては、役小角が自作した(と言われている)32歳の自身の像と、母親像です。
両ともこの「行者堂」にありますが、撮影禁止ということで像の写真はありません。
なんとなくここまで書いて、
「役小角ってかなり自分のことが好きなのかな?」とか
「そこは嘘でも弟子たちによって作られたとか書けばいいのに(笑)」とか
思っちゃいました。(笑)
とはいえ、境内にある「役行者産湯の井戸」の案内板によると、産まれた時から神力を持っていたような書き方がされていて、自身もその偉大さを自覚していたのだと思われます。
『誕生の時の泣き声は「人々を救うため天から遣わされて来たのだ」と言っている様に聞こえたそうです。』
赤ちゃんが「人々を救うため天から遣わされて来たのだ」と言っている様な泣き方をしている想像ができなかったので(笑)、僕の中では生まれた時にそういう天の声が聞こえた。という再現イメージです。
ちなみに、この案内板に書かれている「大峯八大童子」とは、Wikipediaでいう「大峰八大金剛童子」の別称でして、Wikipediaでは以下のように紹介されています。
早い話が修験道における守護神ということなのかな?
Wikipediaより引用
大峰八大金剛童子(おおみねはちだいこんごうどうじ)とは古代末期から現代まで修験道の儀軌や教義書、縁起、役行者伝などに登場する金剛童子の総称。行者を守護する神格で、峯中路の重要な宿で水のある場所に配されているとされている。
で、吉祥草寺ですが、正直そんなに大きなお寺とは言いづらいです。
とはいえ、歴代天皇の祈願所として東西4キロ、南北5キロの規模だったこともあったようです。
その後戦火などによって消失をして、現在の本堂は1396年に再建されたもの。とあります。
ちなみに現在安置されている像は、これらの難を免れたものと書かれて、前述の行者堂の像もこれに含まれます。
やはり偉大な人物によって造られたものには何か、こう不思議なパワー的なものが宿るのでしょうか。
まぁお寺については、そんなとこです。
冒頭にも書きましたが、こうやってどこかに行くと、更に興味のあるキーワードが出てきますね。
「大峯八大童子」とか、あと行者堂で見かけたんですけど、「役小角奈」というご当地萌えキャラクター(吉祥草寺の公認キャラクターでもある)があるようで、気になってます。
(こっそりTwitterのフォローをさせてもらいました。(笑))
役小角のことも修験道のことも、そんなに詳しくないので、今後スポット巡りもしつつ、ネットで情報も集めつつ・・・ってカンジで色々知って行けたらいいな。って思います!
では、最後までお読みいただきありがとうございました。