どうも、元山狐(もとやまきつね)です。
今回は景行天皇の息子の小碓命(オウスノミコト)が中心の内容となっています。
オウス=倭健命(ヤマトタケルノミコト)なんですが、その名を得た経緯なんかも書いてます。
ヤマトタケルは英雄としてのエピソードも多いし、ギリシア神話でいうところのヘラクレスみたいなもんなんでしょうかね。あと数回は彼が中心の記事になりそうです。
熊曾征伐
前回父親の景行天皇から熊曾健(クマソタケル)の討伐を命じられた小碓命(オウスノミコト)ですが、こちらのエピソードは、以前にヤマトタケルの古墳(お墓)を回った時の記事に、紹介していますね。
簡単にいうと、女装してクマソタケルらの宴会に入り込んだ、オウスはクマソタケルに気に入られました。
そして、油断していた彼らを切り倒しました。
この時に、オウスはクマソタケルから倭健命(ヤマトタケルノミコト)の名を授けられ、そう名乗るようになります。
出雲征討
さらにヤマトタケルは大和に帰りがてら、出雲健(イズモタケル)と呼ばれる豪族も倒しました。
先程のクマソタケルも、正面からぶつかり合うではなく、相手を油断させて倒していましたが、こちらも内容こそ違えど、手口は似ています。
まず、出雲に着いてからすぐに、イズモタケルと親交を結びました。
一方で、こっそり木で偽の太刀を作りました。
これには作戦がありました。
ある日ヤマトタケルとイズモタケルは、一緒に水浴びをして遊びました。
そして川からあがると、
ヤマトタケル
「あぁ楽しかったなぁ~。
僕らもかなり親しくなったね。
ねぇ、親しくなった印に、互いの太刀を交換しない?」
イズモタケル
「うん、いいよ!」
ヤマトタケル
「OK!じゃぁ、互いの交換した太刀を合わせてみよう!」
イズモタケル
「わかった!
あ、アレ!?
この刀、抜けないよ!?」
ヤマトタケル
「ニヤリ・・・」
イズモタケル
「ま、まさか!?」
ヤマトタケル
「間抜けなヤツめっ!
その刀は木で作った偽物なのさ!
そして、こちらは見事な太刀だ!
それぇ!」
ズバッ!
イズモタケル
「そ・・・そんなぁ・・・(ガクッ)」
という具合に相手と親しくなって、油断させたところを一気にズバッ!と倒してしまいました。
そして都に帰ってきたが・・・
こうして、ヤマトタケルは命を受けた、クマソタケルだけでなく、イズモタケルも倒しました。
どういう心情だったんでしょうね。
父に喜んで欲しかったんでしょうか。
こうして、父に褒めてもらえると思い、ウキウキで帰ってきたヤマトタケル。
しかし、父景行天皇はさらに
「東方十二国にいる荒神と、朝廷に従わない者たちを服従させてこい。」
と命を下しました。
さらにそんな重大な任務にもかかわらず、父がヤマトタケルに与えてくれたのはわずかばかりの部下と柊の木でできた矛でした。
これにはヤマトタケルもガッカリしたようで、伊勢大神宮に参って、そこにいる叔母の倭比売命(ヤマトヒメノミコト)に
「父は私に死んで欲しいのだろうか・・・」
と嘆きました。
これを聞いた、ヤマトヒメノミコトはヤマトタケルに、草薙の剣(くさなぎのつるぎ)と、「もし、困ったことがあったら開けなさい。」と袋を授けてくれました。
草薙の剣といえば、スサノオがヤマタノオロチを倒した時に得て、アマテラスに献上していましたね。
そして、その後の天孫降臨の際にニニギに同伴する神々に持たせていました。
その後、アマテラスの御霊として、鏡が伊勢に祀られているようなので、この草薙の剣も同様に伊勢に祀られていたのかな。
ともあれ、こういう経緯でヤマトタケルは西方の遠征から帰ってきて、休む間もなく東方に旅立つことになりました。
最後に
「熊曾征伐」の項で貼っているリンク記事にも書いていますが、古事記と日本書紀では、景行天皇とヤマトタケルの関係性がかなり違います。
このブログでは、古事記をベースに進めていますので、段々と父の愛に飢えた悲劇の王子といった雰囲気になってきますが、日本書紀では父の信頼を得て、東征も自ら志願し、天皇の賛辞と皇位継承の約束を得て出発する。といったものになっています。
次回もヤマトタケルが中心の内容になります。
では、最後までお読みいただき、ありがとうございました。