どうも、元山狐(もとやまきつね)です。
今回は前回に続いて、第26代以降の天皇を4人紹介したいと思います。
この日本神話シリーズは初回の記事が2019年2月に投稿したのですが、ここまでくるのに5ヶ月もかかったし、記事数的にもギリシア神話に次ぐ多さになりました。
次回も同じペース(4人)で紹介できれば、この日本神話シリーズは次回で最終回になります。
第26代継体天皇
継体天皇(ケイタイテンノウ)は袁本杼命(ヲホドノミコト)という名前で、応神天皇の5世代目のお孫さんだそうです。
先代の武烈天皇が後継を残していなかったのと、有力な豪族の後押しを受けたことで天皇になったとあります。
血筋がかなり遠いのに天皇になった、ということから歴史的には結構な注目を集めている天皇みたいです。
19人の子がいるということで、子沢山なのと、この天皇の時代に筑紫国で反乱が起きたのを鎮圧(磐井の乱)したという話題が書かれているくらいですね。
第27代安閑天皇
安閑天皇(アンカンテンノウ)は継体天皇の長男となります。
在位期間は短くて、わずか数年ですが、即位したのが66歳と遅いので、まぁそんなもんでしょう。
この天皇も次の天皇も手元の資料では4行程度の扱いで、極端に扱いが薄いです。(笑)
子がいないので、次代は弟の広国押建金日命(ヒロクニオシタケカナヒノミコト=後の宣化天皇)が継ぐことになりました。
第28代宣化天皇
宣化天皇(センカテンノウ)は安閑天皇と同じく継体天皇の子で、安閑天皇の弟になります。
彼も即位したのが、69歳と遅く在位期間は3年と短いです。
更に次代の天皇も兄弟継承で、弟の建小広国押楯命(タケオヒロクニオシタテノミコト=後の欽明天皇)が継ぐことになりました。
第29代欽明天皇
今回の記事では最後に紹介するのが、この欽明天皇(キンメイテンノウ)です。
后の石比売命(イワヒメノミコト)と小石比売命(オイワヒメノミコト)は、兄宣化天皇の娘、つまり姪を2人娶っているということですね。
他にも后がいて、子供の数は併せて25人もいます。
まぁ、過去に紹介をした景行天皇(ケイコウテンノウ=第12代天皇でヤマトタケルノミコトの父、80人もの子がいたとされる)に比べると少ないですけど、ここまで子が多いのは応神天皇(オウジンテンノウ=第15代天皇で、子は26人いた)以来みたいです。
今回は、継体天皇→安閑天皇(先代の子)→宣化天皇(先代の弟)、そしてその弟の欽明天皇・・・ということで兄弟継承が続いて来ましたが、次代の敏達天皇(ビダツテンノウ)は、この欽明天皇の子となります。
で、その後、用明天皇(ヨウメイテンノウ)、崇峻天皇(スシュンテンノウ)、推古天皇(スイコテンノウ)と続くのですが、敏達天皇~推古天皇は皆欽明天皇の子みたいです。
古事記としては、ここで終わりのようなので、次回はこの欽明天皇の子ら4人の天皇を紹介して、この日本神話シリーズの最終回としたいと思います。
では、最後までお読みいただき、ありがとうございました。