日本史に疎い僕が百舌鳥・古市古墳群を回ってみた-3 応神天皇陵

どうも、元山狐です。

今回は応神天皇陵に行ってみました。

ただし、晩だがな。
※予定の都合で遅くなっちゃった、テヘッ。




申し訳程度の写真たち

見てのとおり晩に撮ったので、いっそ貼らなくてもいいかな?w
と思ったのですが、一応貼ります。

古墳の形、大きさ

形は前回の仲哀天皇陵と同じく、前方後円墳です。

大きさは約425Mでして、これは全国2位の大きさです。
1位はいずれこのシリーズでご紹介する予定なんですが、仁徳天皇陵です。
ちなみに応神天皇陵の盛り土の量は、仁徳天皇陵を超え、1位です。

付近には

今回は行ってませんが、古墳の南方には誉田八幡宮(こんだはちまんぐう)があります。
ここの主祭神は応神天皇です。
この後の項で触れますが、応神天皇は文武の神として「八幡様」として信仰されています。

また、今回の記事とは全く関係がありませんが、付近には「ビッグジョー」というステーキハウスがあります。
藤井寺市と富田林市に2店舗ありまして、いつも行列ができている人気店です。
(何年か前に1回いったけど、おいしかったですよ。)

応神天皇について&八幡様として


父親:仲哀天皇
母親:神功皇后

前回書きましたが、仲哀天皇は熊襲征伐に出かけた際に、神功皇后が受け取った神のお告げを無視して崩御しました。
その後、神功皇后は子である応神天皇を身ごもったまま三韓征伐に出かけ、帰国後筑紫(九州)で生まれたのが応神天皇と日本書紀には書かれています。

前回仲哀天皇は「古墳時代のジョージ・ジョースターだ!」とか戯言を書きましたが、それでいくと、神功皇后はリサリサ、つまりエリザベス・ジョースター!

そしてこの応神天皇こそがジョセフ・ジョースターなのだ!!(違)

・・・と、書いたものの、具体的な偉業というか実績は、参考書籍にはあまり詳しく載っていませんでした。

ですが、墓の大きさは当時の権力を物語る指標なのかな?と思うと、偉人として扱われていたことには変わりないようです。
応神天皇の子は、仁徳天皇で、仁徳天皇陵が国内最大の大きさを誇る古墳ですので、応神天皇、そして仁徳天皇の代が古墳時代の権力のピークを迎えたのじゃないかな。と思います。

また、応神天皇は自身を主祭神とし、母の神功皇后、比売神(神道の女神)とあわせて八幡三神として祀られています。
八幡様といえば、神社の数が非常に多くて、全国に約44,000社あると言われていて、稲荷神社に次ぐ多さと言われています。

ちょっと本題から逸れますが、八幡様は「武士の神」、稲荷様は「農業の神」、天神様は「学問の神」として祀られています。
この3つはそれぞれ日本全国の至るところにあるので、皆さんも一度は行ったことがあるのではないでしょうか?

ただ、応神天皇が八幡神として充てられた経緯はハッキリとわかりませんでして、八幡神自身が謎の多い神なのかな。という印象です。

最後に

今回は僕の知識の無さが露呈しまして、かなり切れ味のないナマクラな記事になってしまいました・・・汗。

ちなみに以前ジョギングがてらに、下宿しているマンションの付近にある古市古墳群を回ったことがります。
応神天皇の妻である、仲姫命の古墳も同じく古市古墳群にありまして、この時に回っているようです。
(正直あんまり覚えてないんですがw)

古市古墳群を回ってきた。(大阪)

この記事も相当薄っぺらい記事なんですが、まぁこの記事に比べると、今回はまだマシだったんではないでしょうか。笑

では、最後までお読みいただきありがとうございました。